主夫/駐夫になることを決断した理由

主夫/駐夫になることを決断した理由

Last Updated on 2024年3月29日 by sts

日本での仕事と家庭観

2023年12月に妻に帯同する形でバンコクに引っ越しましたが、その前はデータアナリストとして、月間20億PV規模の自社サイトのデータ分析を行っていました。勤続約8年、はじめはアクセス解析から始めたのですが、最終的には顧客分析やデータ可視化なども行っていました。いわゆる、「バリバリ理系」な仕事です。

一方で、妻の仕事が海外に向いていることは把握しており、そこへのシフトも行って来ました。私は「何が何でも男が稼ぐべきである」というジェンダー論は持ち合わせていなかったため、最後の2〜3年は定時勤務制度を活用し家庭シフトをしていました。しかも完全在宅勤務で年に1度ほどしか会社に行かなくても良い環境だったため、子どもの保育園の送り迎えはほぼ100%私が対応していました。

幼少の頃は料理人に憧れていたこともあり料理は得意でしたし、大学時代の一人暮らし期間が長かったこともあり、家事全般もそれなりにはできたということもあったので、家庭シフトしやすい人間だったと思っています。実際、主夫/駐夫としてバンコクに渡る前に特段家事修行をすることはありませんでした。

主夫/駐夫になることを決断した理由

自社に配偶者帯同休職制度や再雇用制度がなかったため大きな決断ではありましたが、会社を退職して妻に帯同する決断をしました。決断の理由は、まさに駐夫の始祖小西一禎さんが決断なされたのと同じで、「家族は一緒にいるべきだ」と思ったからです。

まず、子どもは母親と一緒にいるべきと思いました。年頃の娘がいるので尚更です。また、海外赴任をすると妻の仕事上の責務が重くなることは必至で、いかに家事サポートなどを活用したとしても私無しで忙しい妻が子どものケアを行えるとは思えませんでした。家族全員が良い結果になるには、私が仕事を辞めて付いていき、家事育児を担当する必要があると判断しました。バンコクに行ってまだ3ヶ月半ほどしか経ちませんが、実際この判断は間違いなく正しかったと思っています。

子どもは慣れない海外の環境や学校に馴染むのが大変で、何度もホームシックになりました。私のケアがなければ今ごろギブアップで本帰国ということもあったかもしれないと思っています。また妻は仕事が忙しいので、それ以外のことをあまりできない現状です。その全般のサポートをしている貢献も大きいと思います。

決断におけるボトルネック

主夫/駐夫になることを決断した際、最大のボトルネックになったのが、「帰国後の再就職」です。3年間主夫/駐夫をやるならば、タイの場合はvisaの関係で3年間仕事はできませんので、再就職時のブランクは3年となります。40代後半で3年のブランクは再就職において、相当辛いと考えました。

今後どうしていきたいか?

そのボトルネックについて、「スキル」と「キャリア」ふたつの側面から対処しようと考えました。

スキルという意味では、海外生活をしたからにはTOEIC900点は取ろうと考えました(20年前は670点でした)。実際今は英単語帳に着手しており、また日常的に英語を使う機会があるので、良い方向に向かっていると思っています。これまでのキャリアにおいてはTOEICはあまり必要とされてきませんでしたが、周囲の部署では英語が必要とされていたりしたので、キャリアの幅を広げるという意味で役に立つと考えています。

キャリアという意味では、収入を得ずに経験を積もうと考えました。例えばプロボノやボランティアでも良いですし、他のやり方もいくらでもあると思っています。ブログで数字を出すというのも、私のこれまでのキャリアと親和性が高いと思っていますし、ブログは英語と同様に、駐夫にとって基礎体力のようなものであり必修科目だと、私は思っています。

おわりに

いろいろな考えと決断のもとこの状態にあるわけですが最終的には、せっかく居合わせたこの「主夫/駐夫」という立場を、楽しみたいと思っています。まだ3ヶ月半しか経ちませんが、主夫/駐夫のコミュニティおよびそこに属する仲間たちには大変救われていますし、一緒に楽しくさせていただいています。

もしこの記事を読んでいただいている主夫/駐夫の方がいらっしゃいましたらぜひ話しかけてください!

sts@バンコク駐夫(X)